「参議院議員 山本太郎」オフィシャルホームページ

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国会活動

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○山本太郎君 生活の党と山本太郎となかまたち共同代表の山本太郎と申します。
今日は、参考人の先生方のお話、非常に勉強になりました。
まずは、仮定の話に対しまして一般論としてさらりとお答えいただけると助かります。
例えば、ある国が民間人に対する無差別攻撃を行ったと、それによってたくさんの人々の命が奪われました。そのようなケースは国際法違反、戦争犯罪というふうに先生方は考えられますか。順番に、宮家参考人からお聞かせ願えますか、お願いします。
○参考人(宮家邦彦君) 余りにも漠然とした御質問ですので、お答えしかねます
○参考人(大森政輔君) 申し上げるべきことは同じです
○参考人(神保謙君) やや冷たい答えが続いておりますけれども、一般的に申し上げまして、武力の行使というものが国際法で認定されているのは、国連憲章第51条の個別的及び集団的自衛権と国連憲章七章の下における集団安全保障ということになりまして、今、山本委員がおっしゃられた事例は、明らかにその二つの事例を外れる案件ということで、明確な国際法違反でございます
○参考人(伊藤真君) お答えします。
国家の意思として他国民に対してそのようなことがなされたら、国際法違反と考えます
○山本太郎君 ありがとうございます。ちょっと漠然としたお答えに対していろいろなお答え、ありがとうございます。
それでは、もう少しリクエストにお応えして、具体的なことを聞いていきたいと思います。
例えば、米軍による広島、長崎への原爆投下、そして東京大空襲を始めとする米軍による日本全国への空襲、これによりもう本当に何十万人という方々の命が奪われました。そのほとんどが民間人です。これは国際法違反であり、戦争犯罪ではないかと私は考えます。宮家先生、いかがでしょうか。順番に

 

○参考人(宮家邦彦君) 平和安全安保法案とこの今の御質問の関係がよく分かりません。したがいまして、お答えは差し控えます。

 

○山本太郎君 済みません、順番にお聞きしてよろしいでしょうか。ありがとうございます。
○参考人(大森政輔君) 一般論としては、私はその問題についてある考えを持っておりますけれども、それは在職中に答えた内容との関係で整理をすべきかどうかということで迷っておりますから、この席では申し上げることを控えたいと思います。
○参考人(神保謙君) 第一次、第二次世界大戦中における民間人の動員とともに、民間人を含む都市に対する爆撃というものが徐々に戦略の一環として位置付けられることになりました。当然、1929年の不戦条約等を始めとする戦争禁止、放棄規定というものが国際法上広まって、それに伴って、民間人と軍人を明確に区別しながら民間人の保護を進めていくという規範が国際法の中で育ってきたのも事実ですけれども、残念ながら、特に第二次大戦、民間人に対する無差別空爆、これは日本もやったわけですね、中国に対する重慶爆撃もやりましたし、連合軍はドイツに対してドレスデンに対する爆撃もいたしました。残念ながら、日本の東京大空襲、広島もそのような事例でございます。
当然、国際規範の中では看過できない事例であったというふうに思いますけれども、第二次世界大戦という極限の状況の中でそれぞれの軍が取った戦略ということになろうかと思って、学説上、1940年代における国際法違反かどうかということについては、まだ十分な答えが出ていないというふうに理解しております

 

○参考人(伊藤真君) 私は、その当時の国際法の環境から、これは一つの国際法の規範として認められるものになっていたと考えますので、共にこれは国際法違反と判断しています
○山本太郎君 ありがとうございます。
伊藤参考人がおっしゃったとおり、当時はハーグ陸戦条約というものがございました。それにも民間人への無差別攻撃というものは明らかに違反であるということがはっきりしていたと思います。
続きまして、イラク戦争、アフガン戦争、数々の、テロとの戦いという名の下いろんな戦いが行われていますけれども、米軍による多数の民間人殺害というものがいろいろ浮かび上がってきております。これらは国際人道法違反、戦争犯罪と考えられますか、いかがでしょうか。順番にお聞かせ願えたら助かります
○参考人(宮家邦彦君) 引き続き質問の趣旨がよく分かりませんのでお答えは差し控えたいところですが、それでは余りにも失礼ですから、イラク戦争とアフガン戦争、私の関係した限りにおいて申し上げます
そのような判断をする状況かどうかの前に、私の理解では、イラク戦争、それからアフガン戦争とも国連決議に基づいた武力行使であったと理解をしています。したがいまして、その武力行使自体に法的根拠はあると考えていますが、その中でもしそのような事態があったとしたら、個々のものを私は一つ一つ見ていく必要があると思いますが、私の知る限り、米軍によるそのようなことがあったかどうかは別として、それ以外の多くの勢力によるおびただしい数の民間人が殺されている。イラクでもアフガニスタンでも同じです。そのことと同時に考えない限り、この問題についてコメントすることはできないと思います
○参考人(大森政輔君) 私は、残念ながら、実態がどうだったのかというその確たる事実を十分把握しておる自信がございません。
特にイラクが大量殺りく兵器を持っていたがゆえにあんなに、アメリカはそういうようなことを言っているようですけれども、実は、後で本当に調査したらなかったんだというような報道もございますね。その辺りのことを、実際どうだったのかということを、確たる事実をまだ知り得るところには至っていないんだろうと思いますから、確定的なお答えはいたしかねる次第でございます。
○参考人(神保謙君) アフガニスタン戦争とイラク戦争に関しては、若干違う根拠の中で考えていかなければいけないと思っております。
アフガニスタン戦争に関しては、9.11の後で10月にアメリカが軍事介入するということですけれども、当時、根拠となったのは、国連安全保障理事会の決議の1368という決議でございまして、これはアメリカの自衛権というものを拡大してアフガニスタンへの攻撃に当てはめるということを安保理が認定するという形式を取ったという点においては、国際法的な根拠という点ではかなり明確な形で軍事行動に踏み切ったものだと私自身は理解しております。

 

問題はイラクでございまして、これに関しては、当然、1991年当時の安保理決議678、687という二つのものは明確な武力行使の規定であったわけですけれども、これを継続して、イラクは当然その後のいわゆる武装解除に関する明確な透明性を確保していくということに失敗をしてきたという評価の下で、たしか私の記憶では1471とかその辺りの決議だったと思いますけれども、それに基づきイラクの完全なその説明責任を果たすということを求め、それが十分でないということを根拠にアメリカは武力行使に踏み切ったという、こういう説明だったと思いますが、それが以前の、例えば九一年の湾岸戦争や2001年のアフガニスタン戦争のような明確的な国際法根拠があるかというのは、国際法学者の中では極めて疑わしいということが言われているということだけは申し上げておきます

 

○参考人(伊藤真君) お答えします。
国際人道法違反かという御質問に対しては、そうだと考えています
また、今、神保参考人お話しのように、イラクにおきましては国際法上の正当性の根拠自体が疑わしい、私は、あれは違法な戦争であったと考えております。また、劣化ウラン弾の使用など、様々な問題点が山のようにある戦争だったと考えています。その点からも、人道法違反を含めまして大いに問題があった戦争であったと考えています。
○山本太郎君 ありがとうございます。答えづらいことに答えていただきました。
当時、イラク戦争があった頃には宮家参考人は現場にいらしたんですよね。バグダッドでCPA……(発言する者あり)ですよね。というお話をお伺いしたんですけれども、この戦争というものは、先ほどおっしゃったのは、要は、国連というところから、ちょっと言い方は違うかもしれないですけれども、許可的なものをいただき、正当性のあるものだったと。

ごめんなさい、僕、やっぱり当時現場にいらした方の方がよく御存じだと思うんですけれども、結局、この戦争に関しては、当時現場にいらした宮家さんからしても、それを今、過去を振り返ってみても、一応正当性は担保されているという御認識なんでしょうか。
○参考人(宮家邦彦君) 先ほどは時間がありませんでしたから長々とお話ししませんでしたけれども、基本的には、神保参考人がおっしゃったことの最後のところに、日本政府はそれにもかかわらず、ちゃんとした国連の安保理決議違反という形で整理をして支持したと私は理解しています
○山本太郎君 ありがとうございます。
そうなんですよね。強制査察は受け入れたんですよね、国連決議1441。大統領宮殿まで全ての査察を受け入れた。UNMOVIC、御存じのとおり、国連の大量破壊兵器を査察するという機関、それが500か所700回も行われて、アメリカとイギリスに対して説明もしたと。もうどこにあるんだよ、もう見付からないよという話になったと。じゃ、教えてくれ、どこにあるのかと。100か所追加で教えてもらった30か所目を捜索中にもう戦争始まってしまったという、かなり正当性薄いといいますか、その後にもやはり事務総長であった方も国連憲章違反であるということをはっきり言われていて、ブッシュ大統領まで、過去の戦争に対して、これ、開戦の責任があるというけじめの、けじめといいますか、過去を総括するようなお話しされているんですけれども

これ、非常に関係があると思うんです。何か。戦争を始めますという国がこの法律によってつながる、後方支援しますという話になった場合に、間違った戦争にも引きずり込まれかねないということなんですよね。引きずり込まれてしまう可能性があるという部分だと思うんですよね。

過去の戦争に対して、日本が片棒を担いだ戦争に対して、やはりどのような事態があったのかというような検証というものが行われていなければいけないと思うんです。その過去の検証、イラク戦争の検証に関しては外務省既に出しているんですけれども、公表されているのがたったの数ページなんですね。これ、やはり第三者の目でしっかりと検証される、イラク戦争が検証されるということが非常に重要かと思うんですけれども。

次は伊藤参考人の方から順番に、第三者の独立したイギリスやオランダのような検証、第三者委員会というものの存在というものはやはり必要であると思うんですけれども、いかがお考えでしょうか

 

○参考人(伊藤真君) 当時、アナン事務総長も国際法違反だと言い、フランス、ドイツもこれは参加しないと。当時、百四十数か国だったと思いますけれども、参加しない、これは国際法違反だから反対をすると言っていたあの戦争であります。きちっとその原因を究明するということは近代文明国家ならば当然しなければいけないことだろうと、第三者の立場からの検証をしっかりと行う、必要なことだと考えています

 

○参考人(神保謙君) 私自身は大変重要な御指摘だと思っておりまして、これは、政府内にとどまらず、やはり議員の方々、学術界を含めて、総合的にこれまでの過去二十年の戦争及びその日本の支持表明の評価というものをしっかりしていくということに関しては賛成でございます

だから、だからこそということでありますけれども、平和安全保障支援法案ですよね、まさに多国籍軍型のミッションに後方支援をするかどうかという判断に例外なき国会の事前承認を規定したというのは、まさにそういうことだというふうに思います。まさに、それが正しい戦争であるかどうかというのは、国会議員一人一人の判断の根拠に関わってくる部分でございまして、だからこそ国会承認をしなければいけないと私は思っているわけでございます
○参考人(大森政輔君) いや、私は、立場上、その辺りの情報を十分把握していませんので、曖昧なる答えをするよりも、そのようにお答えしておいた方が無難だろうと思います。
○参考人(宮家邦彦君) 違法な戦争に加担をした、片棒を担いだでしたっけ、そのような御発言はいかがなものかと思います。日本は戦闘に参加したわけではありません。日本は戦争が終わった後、戦闘状態が終わった後に、人道的な支援ということで自衛隊員は向こうに向かったのであります。片棒を担いだなんというような言い方はお慎みください
○山本太郎君 言葉遣いに失礼があったなら本当にお許し願いたいと思います。
それにしても、自衛隊が運んだ荷物の中身はチェックすることができなかったんですね。それは当時、石破長官もおっしゃっていたことです、それが連携している者としてのエチケットだと、そんなことをやったら連携が崩れてしまう。中身の分からない荷物もこの先運ばなきゃいけないという状況になったときのために、是非この問題というのは非常に重要であると。中身が分からないものを運んだのに、どういう貢献をしたかということがはっきりと分からないわけですものね。

日は本当にたくさんの貴重な御意見、ありがとうございました。

失礼いたしました。

 


2015.9.8安保特・参考人発言

 

(参考人)

●宮家邦彦(みやけくにひこ)氏
キャノングローバル戦略研究所研究主幹・立命館大学役員教授
外務省出身(主にアフリカ・中近東を担当)
与党推薦参考人

 

●大森政輔(おおもりまさすけ)氏
元内閣法制局長官・弁護士
野党推薦参考人

【大森4要素】 (1997年)
憲法9条の下、海外へ自衛隊を派遣する場合の
「武力行使との一体化」に関する政府の判断基準を示したもの。

①自衛隊と他国軍の地理的関係
②自衛隊の活動の具体的内容
③他国の武力行使に当たる者との密接性
④協力相手の活動の現況
これらを総合勘案し、個別に判断するとの内容。

武器・弾薬を後方支援として輸送することが憲法上、許されるか否かについて、
周辺事態法審議の中で、「大いに、憲法上の適否について慎重に検討を要する問題」と、大森法制局長官が答弁。(141国会 1997年11月20日 衆・安全保障委員会 佐藤茂樹(新進党・公明党出身)質問)
また、
「そもそも(米軍の)要請がないならば、もう最後まで議論をし尽くす必要もない」と、大森法制局長官が答弁。(145国会 1999年1月28日 衆予算委員会 赤松正雄(公明党)質問)

 

●神保謙(じんぼけん)氏
キャノングローバル戦略研究所主任研究員
東京財団上席研究員
慶応大学総合政策学部准教授
与党推薦参考人

 

●伊藤真(いとうまこと)氏
日弁連・護憲派弁護士
野党推薦参考人

 

○参考人(宮家邦彦君) 宮家邦彦でございます。

本委員会で私が意見を申し述べる機会をいただきましたことを大変名誉に思っております。
さて、ある著名な憲法学者は、外務省員はみんな自衛隊に入って危険地域を経験すべしと、こういうお話がありました。私は、もしかしたら、実戦はともかくといたしまして、外務省員とか自衛隊員よりもはるかに実地の戦争経験があるのかもしれません。
私は、外務省でアラビア語が専門でした。クウェートで研修旅行中にイラン・イラク戦争が始まりました。初任地は戦時下のバグダッドでありました。そして、二年数か月在勤いたしました。湾岸戦争発生直後はサウジアラビアに出張いたしました。二〇〇四年にはイラク戦争後のバグダッドに再び派遣をされました。特に、二度目の勤務というのは、二人の当時の外務省の同僚を失った直後でございました。戦場に送られる兵士の気持ちを僅かながらも理解したつもりでございます。
私は、もう政府の関係者ではありません。本日は、自由かつ率直に、自分が経験した、まあかぎ括弧付きですが、戦争ないし戦闘を含む世界の安全保障の常識と私が日頃思っていること、これを述べたいと存じます。
まずは、結論から申し上げます。
今回の平和安全法案に反対する方々の主張、これまでの私の個人的な経験に照らせば、およそ安全保障の本質を理解せず、冷戦後の世界の大きな変化を考慮しない観念論と机上の空論でございます。人によっては、現実味を欠いていると言う方もいらっしゃいます。空想的平和主義、ガラパゴス平和主義とおっしゃる方もいます。このような議論がいかに世界の常識から懸け離れているか、本日は、時間の許す限り、委員の皆様を通じて国民の皆様に御説明をしたいと思っています。
本日の議論のキーワードは抑止でございます。
冷戦時代というのは実に安定した時代だったのかもしれません。一九五〇年に朝鮮半島で抑止が失敗いたしましたが、これを除けば東アジアでは基本的に抑止は効いた時代でございます。ところが、冷戦後二十五年たちまして、世界各地では現在、旧帝国による不健全な民族主義というものが次々と復活をしつつあるように思います。これに伴い、各地で物理的な脅威も発生し始めております。最大の問題は、この種の国家ないし勢力には抑止が効かない可能性があるということであります。
イラク戦争後のバグダッドで私はイラクの内戦も見てまいりました。そして、これらの経験から学んだことは、戦争というのは悪意のある勢力が物理的力を持って現状を変更しようとするときに往々として起きるものだということでございます。これは私の安全保障の常識でございます。
例えば、イラン革命直後、湾岸地域には力の空白が生まれました。その力の空白を埋めようとしたのがイラクのフセイン大統領でありました。当時のイラクを抑止する国はありませんでした。
逆に、最近のシリアやイラクではイスラム国が台頭しておりますけれども、これも国際社会がシリア内戦に対して適切な措置をとらなかったことの結果でありましょうし、その国際社会の対応の中には、欧米諸国のシリアの現状を放置する動き、これもあったように思います。
このように、軍事介入というのは、時に事態を悪化させることがありますが、同時に、非介入主義というものも同様に悪影響を及ぼし得るのでございます。危機に際して正しい措置をとるということは決して簡単なことではありません。人間は錯誤をいたします。予想を超えるような事態が起きるからこそ、まさに危機なのであります。戦争の抑止に失敗をすれば、悪意の勢力は一層勢い付きます。これが人間の歴史であります。いかに善意の勢力が平和を唱えても、いかに外交努力を重ねても、抑止は破れるときがあるのです。今のウクライナ、南シナ海、シリアというのはその一例にすぎないのであります。
今、日本の国会で、特定の状況の下で危機的な状況は起こり得る、いや、起こり得ないんだと、こういう議論が繰り返されておりますが、誤解を恐れずに申し上げますけれども、私は、危機というのは実は何でも起こり得るんです、何でも起こり得る。だからこそ、あらゆる事態に対応できるような法的枠組みをあらかじめ準備しておかなければいけない、これが私の理解でございます。
続いて、イラクでの経験を踏まえまして、私が感じている同盟の本質についてお話をいたします。
2004年、サマーワに陸上自衛隊の本隊が到着いたしました。私は、当時、バクダッドのCPAという、連合国暫定当局でしたか、日本政府の代表兼連絡係で出向しておりました。本隊が到着する前と後でCPAにおける日本の待遇は大きく変わりました。到着後は、連合国の一員として日本が得られる危険に関する情報、出席できる会議、待遇、これ、全て格段に向上いたしました。なぜでしょう。もちろん、自衛隊は戦闘部隊ではありませんでした。しかし、我々は同盟国扱いになったのであります。
信頼できる同盟国があるからこそ、力で現状を変えようとする勢力への抑止力が高まるのであります。信頼できない国の部隊には重要な情報も待遇も与えない、これが世界の常識であります。こうやって国家は相互を守り合い、そして平和を保っているのであります。逆に言えば、そのような関係を築けない国家との関係だけでは、いざというときに他国は頼りにならないのであります。役に立たないのです。このような現実を知れば知るほど、安全保障面での相互信頼を高める努力、これがいかに必要かということは御理解いただけると思います。
現在審議されている法案など整備する必要はないんだと主張される方の多くは、この法案が戦争法案だとか、戦前の軍事大国化、軍国主義への道だなんという主張をされる方もおられるそうです。本当にそうなんですか。戦前の日本が失敗したのは軍隊があったからではないでしょう。民主主義の下で、その軍隊に対するシビリアンコントロールができなかったことが問題なんです。今の日本で当時のような軍国主義が再び起きると本気で考えておられるんでしょうか。それほど我々は今の日本の民主主義に自信がないんでしょうか。とんでもない。私はそうは思いません。それどころか、グローバルスタンダードから申し上げれば、日本の現在の法案では、平均的なNATOの加盟国と比べてもはるかにはるかに限定的な集団的自衛権しか行使いたしませんし、また行使できないのであります。これでどうやって日本を軍国主義化するんでしょう。私は理解ができません。
もう一つ、今国会での議論を伺っていて疑問に思うことがございます。それは、審議中に具体的な法案の内容について余り詳しい議論がなかったことであります。議論をしないでおいて、一方で説明不足だと言われても、これはなかなか理解できないのでありますが。
今回の法案が確かに多数の法律の修正というものを伴う、分かりにくいという議論があることは承知しております。しかし、その理由はちゃんとあるんです。最大の理由は、ポジリストかネガリストかの違いであります。
主要国の安全保障法制というのは基本的にネガリストであります。すなわち、禁止条項を列挙し、それ以外は実施可能とする構造です。だからこそ各国はシームレスな対応が可能になっています。ところが、日本では、ポジリスト、すなわち、実施可能なもののみを列挙して、それ以外はできない、このような虫食い状態ですから、臨機応変の対応をしようと思えばどうしても、いかなる危機的状況にも対応できるようにするためには、このポジリストを拡大していくしかないのであります。だからこそ既存の法令の修正が多くなってしまう、これはある程度仕方がないのかもしれません。
もちろん、最も分かりやすい方法は、自衛隊法をネガリストにすればいいのかもしれません。しかし、そうすれば、一九五五年以降、五〇年代以降の国会の答弁の積み重ねというのは一体どうなるんだということを考えれば、やはりネガリストは採用しないと決めた今回の判断は正しかったと思っています。
今回の法案では、自衛隊員のリスクが高まるからけしからぬ、反対だという議論もございました。私は、これは国民の生命と財産を守るために命を懸ける自衛隊員に対して極めて失礼な議論だと思っております。
自衛隊員は、リスクを取るためのプロフェッショナルであります。だからこそ、そのために必要な訓練を行い、そして必要な装備と十分な情報を持って仕事をする専門家集団であります。例えば、巨大火災が発生して消防隊員に、いや、こんな危険な火事だから行くなと言うんですか。出動するなと言うんでしょうか。火事が拡大した今こそ消火が必要でありましょう。そのためには、プロは日頃から実力を養っておくのであります。消防隊員と自衛隊員が一体どこが違うんですか。
続いて、憲法問題、特に集団的自衛権に関する議論について幾つか申し上げたいと思います。
過去五十五年間の日本における安全保障議論で強く感じますことは、安保を批判する、批判的に論じる人ほど軍事問題、安全保障の問題について余り知識が十分でないという実態、現実でございます。典型例が、武力行使との一体化論であります。
この概念の是非、私はいつも言うんですが、分からなくなったら英訳してみなさいと。英語に訳せれば私はロジックが通る、分かりやすい概念だと思うんですが、残念ながら、護憲派のある憲法学者も、これは一体化は英訳できません、日本でしか通用しない、日本だけの概念でございますと、そうおっしゃっていました。それはそうでしょう。要するに日本以外では通用しない議論をしているということであります。
そもそも、違憲、合憲の最終的判断を下すのは最高裁だというのが私の理解でございます。憲法学者、法制局長官にはその権限はありません。先日も、ある尊敬する元法制局長官とお会いしまして、自分は軍事問題は素人だと言われて、私は愕然といたしました。
冒頭述べたとおり、著名な憲法学者が、外務官僚には全員自衛隊入隊を義務付けて危険地域を体験させよと、こうマスコミでおっしゃっているそうであります。こんな暴論が許されるのであれば、私も一言申し上げたい。憲法学者や内閣法制局長官こそ戦争地域を体験されたらいかがでしょうか。こういうことを申し上げるのは不謹慎かもしれません。
冒頭申し上げたとおり、彼らは、日本国憲法の下で日本への武力行使の着手がない段階での武力行使は違憲だと、日本への武力行使の着手に至る前の武力行使は、たとえ国際法上、集団的自衛権の行使として正当化されるとしても、日本国憲法に反するのだと、こういう御説明をされるそうです。
しかし、このような、私に言わせれば、二十世紀の戦争概念に基づく解釈が今もまかり通っていること自体、若干不思議でございます。残念ながら、良きにつけ悪きにつけ、二十一世紀の戦争概念というのは、今までの伝統的な概念を超えて、宇宙にもサイバーにも広がっております。このようなことは最低限御理解をいただきたい、知っていてほしいことだと私は思いました。
集団的自衛権、国連の集団的安全保障等々について、日本の中で、一部ですけれども、どこか否定的なイメージ、何か悪いことをしているようなイメージがあるのは実に不思議だと思っています。考えてみてください。日本が外国から武力攻撃を受けたときに、アメリカは日米安保条約によって日本を守るんですよ。この防衛する義務を負っているけど、その根拠というのは国連が各加盟国に認めている集団的自衛権なんです。いざというときに自国を守ってもらう根拠となる概念をそのように否定的に考えていること自体、私はどうしても違和感があります。そのような自己矛盾に近い議論が今も続いている国は、私の知る限り、日本しかございません。
7月の衆議院の特別委員会で岡本行夫氏は、国際安全保障環境の変化を見れば、行政府の部局である法制局が直接的な国土防衛以外の行為は全て黒と判断してきたことが、果たして海外で日本人の生命と財産を守るために適切だったのか考え直す時期だとおっしゃっています。私は全く同感でございます。
私は憲法学者じゃございません。どちらかというと現実主義的な元行政官にすぎません。しかし、私はこう信じています。憲法があるから国家があるのではありません。国家を守るために憲法があるのだと理解しています。
戦争の形態が根本的に変化した二十一世紀、憲法学者はなおまだ古い憲法の解釈に固執をする。しかし、それでもし逆に国が守れなくなっているんだとすれば、それはいかがなものか。どうしてこの矛盾にお気付きにならないのか、私はどうしても理解ができません。
さらに、ある憲法学者は、存立危機事態条項それ自体、憲法九条違反である前に、そもそも漠然として不明確で違憲であるという議論もあります。実に乱暴な議論だと思います。さきにも述べましたとおり、世界の主要国の安保法制というのはネガリストでできているんです。このような形で明確な定義をしていない場合は少なくありません。それでは、では、その定義がないことが違憲になるんでしょうか。私は、断じてそうではないと思っています。
繰り返しになりますが、日本は三権分立の民主国家であります。立法府が作る法律を行政府は執行する、それが憲法や法律に反するか否かの判断は最高裁の仕事であります。
アメリカの最高裁は、最近、同性婚を合憲と判断いたしました。日本では、従来の論理の延長にない議論だということで批判がありましたけれども、同性婚というのも、考えてみたら従来は男女婚なんですから、その論理の延長上にはない議論であります。なぜこんなことが民主国家で起きるか、それは、この種の判断変更というものが認められるのは最高裁だけだからであります。憲法学者や官僚にすぎない法制局長官にはそのような権限はないのは言うまでもありません。
最後に、平和安全法制全体について一言申し上げます。
この法案に反対される委員の方々、本当に現行法制だけで二十一世紀の国際安全保障環境の下にある日本を守れると思っていらっしゃるんでしょうか。もちろん、領域警備のように現行法の運用で、これを変えれば何とか対処できるものもあるかもしれません。しかし、現行法ではどうしても対応できない種類の危機が生まれつつあることも、これまた悲しい現実であります。
今後、世界はますます不安定さを増す可能性がございます。このような時代に、将来政権を担うときがまた来るかもしれない責任政党のメンバーの方々、本当にこの法案は不要だとお考えなんですか。私には信じられません。そして、そう信じたくはないのです。責任ある立場にある方ほど、この種の法案が必要だということを内々理解しておられるのではないか、私はそう信じたい。もし、皆さんが将来政府の要職に戻って、そのときに、この種の法案がなかったときにどのようなことが起こり得るかを真剣に考えていただきたいのです。
参議院は良識の府だと信じています。党利党略ではなく、机上の空論ではなく、現実の世界の実態に即した本音の政策議論を是非お願いしたいと思います。法律論も重要でしょう。しかし、法律論だけでは国家は統治できません。そこで必要となるのは、観念論だけではなくて、現実に即した高度の政治判断であるべきです。
国民の生命と財産を守る安全保障には右も左もありません。保守もリベラルもありません。そこにありますのは、安全保障というのは、一億人を超える国民から成るこの国の安全を確保する手段、あらゆる事態に対応できる切れ目のない柔軟性を持つべきだと思います。
国民の代表である国会議員の皆様がそのような政治判断をするために選ばれてきたんだと私は信じております。民主主義は、最大多数の最大幸福を実現する制度でございます。今こそ成熟した政治判断をお願い申し上げ、意見陳述を終えたいと思います。
御清聴ありがとうございました。
○委員長(鴻池祥肇君) ありがとうございました。
次に、大森参考人にお願いをいたします。大森参考人。
○参考人(大森政輔君) 大森でございます。
私は、先般行われました閣議決定の問題点を指摘することを通じて、その閣議決定が落とし込まれた法案についての意見とさせていただきたいと思います。
しかも、時間の関係もございますので、今回は、集団的自衛権の行使は憲法九条の下で許容されるのかという問題と、他国の武力の行使との一体化に関する閣議決定による見解の変更は相当であるのかという二点に絞って意見を述べたいと思います。
まず、集団的自衛権の行使は憲法九条の下で許容されるのかという問題につき申し上げたいと思いますが、日本国憲法が制定されまして、今日までの変遷を少したどってみたいと思いますが、昭和20年代の前半、このときは、自衛権がそもそもあるのかないのかという議論で終始いたしました。ところが、昭和25年、朝鮮動乱が起こりまして、日本の治安を実質上担保しておりましたアメリカ軍が朝鮮半島に出兵いたしまして、日本国内は治安の真空状態が生じたと。そこで、警察予備隊が組織され、それが保安隊に組織改編されまして、昭和29年7月の1日、自衛隊が創設されました。
〔委員長退席、理事佐藤正久君着席〕
そこで、当時の内閣は、それまでの憲法九条の解釈を整理いたしまして、次のような内容にまとめたわけでございます。これは、当時の法制局の説明によりますと、決して憲法解釈の内容を変えたのではないんだと、いろいろ行われてきた解釈を整理したんだということになっております。
これをどう評価するかは、これまた別の機会の問題でございまして、この昭和29年7月の1日、自衛隊の創設に際して整理された憲法九条の概要を申し上げますと、第一点は、憲法九条一項は、国際紛争を解決する手段としての戦争、武力による威嚇又は武力の行使を禁じているが、独立国家に固有の自衛権までも否定する趣旨のものとは解されないと。第二点は、同条二項は戦力の保持を禁止しているが、自衛権の行使を裏付ける自衛のための最小限度の実力を保持することまでも禁止する趣旨ではなく、この限度を超える実力を保持することを禁ずるものであると。そして第三点といたしまして、自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つための不可欠の機関であって、右の限度内の実力機関であるから違憲ではないと。
この三点に整理して、それ以来、憲法学の研究者の中には自衛隊自体の違憲性に関する議論も交わされてはいましたけれども、政府におきましては、上記整理された見解を今日まで堅持し、その保有は認容できるが、その行使、集団的自衛権の行使については、政府を含めて否定すべきものであることがその都度確認され、今日まで一貫して堅持されてきたわけでございます。
それを象徴した言辞が、例えば、この事項は集団的自衛権の行使に当たるから憲法九条に抵触し認められないのではないかと、このように、あたかも集団的自衛権の行使が憲法九条に違反する典型行為であることを前提とするような形で議論がなされてきたわけでございます。
したがいまして、本件閣議決定による集団的自衛権の行使認容は、超えることができない憲法則ともいうべき基本原則からの重大な逸脱であると言わなければなりません。
次に、先般の閣議決定におきましては、論理的整合性、論理的帰結、基本的な論理の枠内、合理的な当てはめの結果などという、それを個々に考えてみますと、意味不分明な概念を設定し、集団的自衛権の行使認容を、その合理的な当てはめの結果として憲法九条が認める自衛のための措置に当たるんだと主張しているわけでございます。これは、多分、個別的自衛権と集団的自衛権を同質のものとして、同次元の存在における必要性の区分にとどまるとして、憲法九条の下で集団的自衛権の行使を容認する伏線にしているのではなかろうかと推測するものでございます。
しかしながら、個別的自衛権と集団的自衛権は決して同質のものではなく、本質的な差異があるんだということを申し上げたいと思います。
個別的自衛権の行使、すなわち、外国の武力攻撃によって我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が損なわれる場合には、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに必要最小限度で武力の行使を行うということは、独立主権国家ならば固有かつ先天的に有する自己保全のための自然的権能に基づくものであると解されまして、憲法九条の下でも当然に許されるものであると考えるわけでございます。
他方、集団的自衛権の行使、すなわち、我が国が武力攻撃を受けなくとも、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生した場合において、それを阻止するため、当該他国の要請を受けて、武力攻撃を行う第三国に対して我が国が武力行使を行うことができるとされる国際上の権利につきましては、武力攻撃を受けた他国との密接な関係と申しますのは同盟条約などを根拠とするものでございまして、上記のような個別的自衛権とは異なり、その権利の根拠あるいはその内容というものは、他国との間の同盟その他の関係の密接性により後天的に発生し、付与される内容を持つものでございます。
このように、集団的自衛権の行使につきましては、それが密接な関係にある当該他国の要請を受けて行われることが示すとおり、直接的には当該他国を防衛することを目的とするものであり、他国防衛権あるいは他衛権という用語を使った方がその本質を端的に表すと考えるわけでございますが、この他国防衛権の行使が間接的には自国の平和と安全の確保に寄与することがあり得るとしても、自国に対する武力攻撃を排除することを直接の目的とする個別的自衛権の行使とは本質的に異なるものでございます。
このように、両者は別次元の事象であり、本件閣議決定に言うような基本的論理の枠内における合理的な当てはめの結果として、単に同次元における必要性の程度に応じて許否の区分の線引きを移動させることができ、また移動させようとしたにとどまるものでございません。したがって、我が国を取り巻く国際安全保障環境の変化を考慮しましても、憲法九条の下で、いずれの場合も我が国による武力の行使を許容できると判断することは、これは内閣の独断でございまして、肯定できるものではございません。
以上のとおり、集団的自衛権の行使は今後とも憲法九条の下で許容できる余地はないのに、本件閣議決定において憲法解釈の変更と称してこれを憲法九条の下で許容できるとして、それを前提として各種の施策を講じようとすることは、内閣が閣議決定でなし得る範疇を超えた措置である、したがって、その権能を超えたものとして無効と解すべきだと思います。したがって、これを前提として自衛隊法の改正その他所要の措置を講ずることは到底認められないと考える次第でございます。
そのほか、先般の閣議決定の内容には多々問題点がございますが、時間の関係もありますので、そのうちの数点を申し上げたいと思います。
まず、集団的自衛権行使限定要件の不明確性というものがあるわけですが、これは話せば長い話になりますのでまた別の機会にいたしまして、新三要件の第一要件の後段、明白な危険という用語が使われております。これについて若干私の意見を申し上げたいんですが、自公間の与党協議において、根底から覆されるおそれという用語を入れようとしたことが新聞報道では言われております。しかし、根底から覆されるおそれでは判断の客観性を確保できないとして、明白な危険とすることによって与党協議は落着したようでございます。
しかしながら、単なる危険に「明白」という用語を付加しても、本来、危険の概念には、国語辞典等をひもときますと、危害又は損失の生ずるおそれがあることという意味であるというふうに書かれております。このおそれという不確定概念が本質的に含まれている。
したがって、「明白」なる用語をかぶせましても、発生の不確実性を除去することは用語の本質的意義から不可能であり、規定の運用者いかんによっては、その主観的判断の結果が大きな差が生ずるということを否定できないのではなかろうかと一言申し上げたいと思います。
次に、この集団的自衛権の行使とその先制攻撃性という問題が次に存在するわけですが、これはまた別の機会に申し上げることにいたしまして、次に、先般、私などはマスコミを通じてでございますが、法的安定性という問題についてその議論が闘わされたことがございます。これも是非申し上げたいんですが、これも後ほどにいたしまして、その次が、最高裁砂川判決と集団的自衛権行使の関係でございます。これは是非私は申し上げたい、そして理解をいただきたいと思う次第でございます。すなわち、最高裁は砂川判決中で集団的自衛権行使を合憲と認めているかという問題でございます。
この裁判の実務に関係する法曹、放送局の放送じゃなくて専門家という意味でございますが、法曹の間では、最高裁砂川判決が集団的自衛権行使の合憲性の有無まで射程範囲にしているものではないということにつきましては何ら異議はございません。
砂川事件で問題となりましたのは、旧日米安保条約に基づく米軍駐留の合憲性、これが問題になりまして、同条約は日本の個別的自衛権とアメリカの集団的自衛権との組合せで日本を防衛しようとするもので、同判決において我が国が集団的自衛権を行使できるか否かという点は全く争点となっていないのでございます。
ところが、この判決理由中の数行を引き出しまして、それに独自の考え方を入れて、最高裁も集団的自衛権の行使を認めているという説がかなり広まり、それがかなりの力を持って当面の論争を左右しようとしている、この点は非常に問題でございます。
この最高裁判決の先例としての価値、つまり当該先例から引き出される一般法理が何かというのは、あくまでいかなる具体的争点に対してなされた判決かということに即して決まるものでございます。砂川判決から集団的自衛権の行使が合憲であるとの結論が導かれるとの主張は、こうした法律学の基本の理解に関係するものでございまして、到底そういうことができるものではございません。この判決に集団的自衛権の行使を許容する最高裁の意図を読み込むことは全くの暴論でございます。この暴論というのは、傍らの論じゃございませんで、バイオレンスの暴でございます。
なぜこのように私が少ない時間を費やしたかと申しますと、最高裁は集団的自衛権行使を合憲と判断しているんだという、事実じゃない言葉を信じて本件閣議決定を支持している者が相当数に上ると推測されます。
しかし、このように国民を誤って導くに至ったことは非常に遺憾でございまして、本来は内閣法制局がそれを是正しなかったというところに発端があるわけでございまして、私は内閣法制局に随分長い間いたわけでございますけれども、これは内閣法制局の任務の懈怠であると言わなければなりません。是非、後輩、現役の人たちはこれを耳に入れ、頭にたたき込んで、もう一度考えてもらいたいものであると思います。
次に、この閣議決定と、閣議決定をめぐる議論を聞いておりますと、文言、すなわち表示と、表示者の意思というものがそごしていると言わざるを得ないと……
○理事(佐藤正久君) 大森参考人、時間が過ぎておりますので、御発言をおまとめください。よろしくお願いします。
○参考人(大森政輔君) はい。これもそういうことで。
最後に、これだけは是非お願いしたいと思いますが、国際紛争への積極的関与の端緒になるおそれがあるんだということでございます。
また、我が国が集団的自衛権の行使として武力行使をしている第三国に武力攻撃の矛先を向けますと、その第三国は、反撃の正当な理由の有無にかかわらず、事実上、我が国に対し攻撃の矛先を向けてくることは必定でございまして、集団的自衛権の抑止力以上に紛争に巻き込まれる危険を覚悟しなければならず、バラ色の局面到来は到底期待できないことを自覚しなければならないのではなかろうかと。
したがいまして、集団的自衛権の行使は、このような事態の発生可能性を伴うものでございますから、それを国策として採用することが我が国の平和と安定の確保のために必要であるとすれば、憲法上明文をもって用意されている憲法改正手続にのせ、全国民的検討を経ることが求められると言わざるを得ません。
本来はもう少し申し上げたい点があるんですが、最後に一言申し上げたいと思います。
それは、冒頭に申し上げました他国の武力の行使との一体化の問題でございます。
この問題、これは大体どういう考え方であるかというのは、もう既にこの当委員会で十分に議論されたと思いますが、今回の閣議決定、この一体化に関する閣議決定の問題点は二点ございます。その一点は、戦闘現場と非戦闘現場を一線で画することの非現実性という問題と、それから支援活動内容の拡大が武力の行使との一体化の縮小を来す見解になっているという点でございます。
それぞれの、是非申し上げたいことが二点あるわけでございますが、また御関心のある方が質問をしていただきますれば、その際に自分の考えるところを申し述べたいと思います。
もう随分時間が超過いたしまして、どうも失礼しました。
○理事(佐藤正久君) ありがとうございました。
次に、神保参考人にお願いいたします。神保参考人。
○参考人(神保謙君) 慶應大学の神保でございます。
本日は、平和安全法制特別委員会に参考人として意見を述べる機会をいただきましたことに、まず深く感謝申し上げます。
まず初めに、今回提出されている平和安全保障法制整備法案及び国際平和支援法案は、日本の安全保障政策に必要不可欠な法案であるという私の基本的な考え方を述べた上で、現下の安全保障環境の変化を鑑み、現在提出されている法案でもなお不十分であり、仮に法案が成立したとしても不断の体制整備が必要であるという問題意識を私からは表明させていただきます。
まず、基本認識を申し上げます。
冷戦終結後の日本の防衛・安全保障政策は、安全保障政策の変化に応じて大きな進化を遂げてきたわけでございます。九二年のPKO法の成立以来、日本は延べ十四回の国連PKOミッションに1万人を超す自衛隊員を派遣し、既に20数年間にわたるグローバルな展開をしてまいりました。また、97年の日米防衛協力のガイドライン及び二年後に成立いたしました周辺事態法の成立以降は、我が国を取り巻く地域で生じ得る紛争に日米共同で対処する枠組みも整えてきたわけであります。また、2000年代に入りますと国際テロリズムの時代に入るわけですが、その台頭と拡大に対しても、テロの温床となり得る地域に対する人道復興支援を中心とした国際協力に積極的に関与してきたわけでございます。
こうした過去20年にわたる日本の安全保障政策の展開は高く評価されるべきであると考えておりますが、今日、そこには二つの新しい、しかも深刻な問題が発生をしているということを指摘したいと思います。
第一は、こうした数多くの自衛隊のミッションの拡大をこれまで既存の法律の改正や時限立法の中で乗り切るという、言わば増改築工事の繰り返しであったということでございます。
今日、私、配付資料を準備しておりまして、配付資料の防衛計画の大綱と脅威認識・政策・制度の空間概念という格子図を御覧になっていただきたいと思います。これは最新の一三年十二月に発表された我が国の防衛計画の大綱に示されている文章を抽出したものなんですけれども、その文章に示されている脅威認識と我が国の政策、これに対応する制度を、グローバル、アジア太平洋、そして日米を中心とした二国間、そして国内という空間軸の中でまとめたものでございます。
これはやや乱暴な分類ではございますけれども、ここで私が示したかったことは、御覧になっていただくと分かるとおり、脅威の性質、事態はグローバルから国内に至るまで空間及び領域を横断する性格を持つようになってきているということでございます。そして、近年の政策も徐々に国内から二国間、アジア太平洋地域、グローバルへと横断する思考を持つようになってきているということでございます。
しかしながら、制度について御覧になっていただくと、それは空間別の縦割りによってつくられているものが多いということでございます。ここに、安全保障環境は領域横断になっているにもかかわらず、制度自体は空間の縦割りにとどまっているというミスマッチが生じているということをまず指摘したいと思います。これが第一の問題でございます。
第二の問題は、二十一世紀の我が国を取り巻く安全保障の最大の変化と言ってもよいと思います中国の台頭に関することでございます。それが我が国の安全保障に二つの新しい領域への対応を迫っているということを申し上げます。
一つは、本委員会でも再三にわたり問題提起があったと了解しておりますグレーゾーンと呼ばれる事態でございます。まさに、私の図で申し上げますと、この二国間と国内の間、そして事態でいいますと平時と有事の間、そして法制度でいえば自衛権と警察権の間の切れ目に我が国の主権を侵害する重大な事態が生じているということは本委員会の皆様が共有するところであろうと考えております。
もう一つは、先日の軍事パレード、皆さん御覧になったと思いますけれども、そこでも示された中国の軍事力の急速な拡大が、我が国ひいては周辺国、さらにこの地域に関与する米軍との軍事バランスを大きく変化させているということでございます。特にこの米軍の地域的関与に関する、これ拒否力と呼びますけれども、これが高まっていること、これを専門用語ではA2AD環境と呼んだりしますけれども、このこと自体が東アジアの紛争抑止、紛争対処への方程式を大きく変化させつつあるということでございます。
以上申し上げた二つのミスマッチあるいは新しいドメインの拡大こそが、なぜ今日我が国が確固とした安全保障の法制度を策定しなければならないかという重要な根拠だと私は考えているわけでございます。そして、そこには日本の防衛政策にとって今日最も重要な三つの領域への対応が明確に意識されているわけでございます。
第一は、グレーゾーン事態への対応。これは、平時と有事の中間領域、そして警察権と自衛権の隙間を埋める対応ということになります。
第二は、これは九〇年代からの宿題であったわけでありますけれども、朝鮮半島や台湾海峡での有事を念頭に置いた周辺事態、今法律では重要影響事態における日米の共同対処能力の強化、そしてその延長線上にある集団的自衛権の限定的行使をめぐる問題でございます。
そして第三は、国際平和協力における自衛隊の役割の国際標準化、そしてそれを通して日本が世界の平和維持、平和構築で積極的な役割を果たしていくことという、以上の三つでございます。
そして、この法案自体を見てみると、現在提出されております平和安全保障法案自体は大変複雑に構成されておりまして、多くの国民の皆さんには大変分かりにくいものとなっております。そして、この複雑さを十分に単純化できず、国民の理解を得られていないという状況は、率直に言って政府・与党の皆さんの努力不足を指摘しないわけにはいきません。
せっかくの機会ですので、外部の有識者という立場で招かれている私であればこのように整理するのになという形の視点を幾つか提示をしてみたいと思います。
本法案は、私の理解するところ、先ほど申し上げた三つの領域に対して切れ目のない、シームレスな対応を目指す制度構築の試みというのが一言で申し上げる平和安全保障法案の最大の目的だと考えております。
この切れ目のない対応がなぜ必要であるか。それは、既に述べたとおり、安全保障上の脅威が領域横断的であるにもかかわらず、我が国の法制度が十分に横断的ではないという問題認識から出ているわけでございます。ですから、このシームレスという概念に対する理解が極めて重要だと考えているわけですが、しかも、このシームレスという概念は、私の考えでは以下の四つの領域に及ぶと考えております。
第一は、事態の段階をめぐる考え方でございます。
これは防衛計画の大綱や日米防衛協力のガイドラインでも示されているわけなんですけれども、平時から緊急事態までのあらゆる段階で切れ目のない体制整備をすることが重要だという、こういう考え方でございます。
しかしながら、実際にはグレーゾーンと有事の間、そして低強度紛争と高強度、ハイエンドな紛争との間には、制度的、能力的な隙間が厳然として存在しており、これを埋める方策が不可欠であるというのが一番目のシームレスの考え方でございます。
第二番目のシームレスの考え方は、地理的空間に関する概念でございます。
先ほど来申し上げた領域横断的な脅威に対応するためには、我が国はどこまでの地理空間を安全保障上の空間とみなすのか。これは、ここまで委員会でも議論されたとおりだと思いますが、事態の性質に応じて変化する概念でございます。
かつて、これは周辺事態として想定された朝鮮半島周辺の地理的区分ということにとどまらず、二十一世紀の安全保障環境を考えると、特に海洋安全保障、東シナ海から南シナ海、インド洋、そして中東地域に広がる広域空間の戦略的重要性は間違いなく高まっており、さらに、そういった広域空間であるからこそ様々な形態の国際協力や共同行動に参画する必要性が増したというのが、これが空間的シームレスの必要性でございます。
第三の概念は、アクターの連携でございます。
従来の周辺事態法であれば、その協力相手はアメリカに限定をされておりました。しかし、今般提示されている重要影響事態法案では、後方支援の対象国はオーストラリア等の友好国を含めるという設計になっております。これは、仮に朝鮮半島有事で、そうした有事が発生した場合ですけれども、その対応に従事する部隊はアメリカ以外の多国籍の軍になるということはほぼ確実であります。その場合、日本が柔軟に後方支援ができる枠組みを整備できるかどうかということは、これから起こり得る朝鮮半島の危機管理や紛争対処においても、私自身は必要不可欠と考えているわけでございます。これが第三番目です、アクターの連携。
そして最後は、領域横断ということでございます。
特に、先ほど申し上げた中国の拒否力の拡大、A2AD環境。様々なミサイルや戦闘機、潜水艦などを持っているわけですけれども、こうした環境において、アメリカ軍そして日米同盟が中国に対して相対的な優位を確保し続けるためには、実は様々な領域に対する、これは宇宙やサイバー空間を含むわけですけれども、これはアメリカの用語でクロスドメインと言っておりますけれども、クロスドメインの領域で協力を深めなければいけない、様々な領域をシームレスに担保するということが必要だということでございます。
これが切れ目のないということを言っている四つの領域でございまして、これを正確に使い分けて法案の中にどのように反映させるかということが大変重要だと私自身は考えているわけですけれども、現在提出されている平和安全保障法案は、私のレジュメの(2)に示したとおりなんですけれども、例えば自衛隊法の改正は①と③に対して、そして重要影響事態確保法案は②に対してといった形で整理することによって、シームレスという切り口から、なぜ現在この法案が重要なのかということが国民の皆様に対してより分かりやすく説明できるのではないかと考えております。与党及び政府関係者の皆さんにおかれましては、極端な単純化や便宜的な事例紹介にとどまらず、国民に分かりやすく説明する努力を引き続き継続していただきたいと思っております。
そして最後に、私は現在提出されている法案に強く賛同する立場ではありますが、幾つかの苦言を申し上げたいと存じます。
最大の苦言は、本国会における議論が日本国憲法に対して合憲か違憲かという議論に相当多くの時間が割かれ、日本の安全保障政策の在り方を問う議論自体は十分に展開されてこなかったということでございます。
僣越ながら、私見では、平和安全保障法をめぐる最大の論点は、この法案がシームレスな安全保障体制を確保できているかどうかということにあると考えております。しかも、その点に関して、私は研究者という立場から、現行の提出された法案では十分ではないと考えております。これが、仮に本法案が成立したとしても不断の体制整備が必要だと冒頭に申し上げたゆえんでございます。
絞って三つの論点のみ申し上げます。
第一の論点は、先ほど来申し上げておりますグレーゾーン事態への対応でございます。
これは警察権と自衛権の切れ目を埋める方策ということが焦点となっているわけですけれども、この方法に関しましては、海上保安庁及び警察の能力の権限拡大と、自衛隊による警察権の行使の適用拡大という、言わば下から上へのアプローチと上から下への双方のアプローチがございます。今回の安保法制では、グレーゾーンに対して上から下、つまり自衛隊の海上警備行動や治安出動の迅速な閣議決定の手続や、平時に活動する米国に対する武器等防護というものを当てはめようとしているわけでございます。
当然、私自身も海上保安庁のみで対応できない事態に自衛隊の出動を柔軟に担保することは重要だと考えておりますが、他方で、もう一方の下から上への作用、つまり海上保安庁の権限拡大については、特に海上保安庁法第二十条、これは警察官職務執行法第七条の規定の準用になっておりますけれども、これに事実上がんじがらめになっている武器使用権限をどうするかということの議論については依然として本国会では欠落したままになっていると考えております。
当該事態に対して海上保安庁の権限の能力を拡大して、警察権、言わば英語で言いますとホワイトホールを拡大するのか、それとも軍事組織を早期に投入する方がいいのかということを考えるのは、これは日本が国家としてエスカレーション管理をどうするのかということの戦略に関わる問題でございまして、この戦略論こそが法制度に反映されなければいけないと考えているわけでございます。これが第一点です。
第二の論点は、武力行使の新三要件として提示された存立事態危機をめぐる問題でございます。
私は、かねてより日本が集団的自衛権の行使を認めることは当然という立場で議論をしてきました。この観点から、昨年の七月の閣議決定において、武力行使に関する新三要件として、我が国と密接な関係にある他国を含めたことは画期的であると考えております。しかしながら、その後段であります、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があるという定義が付加された結果、その行使できる範囲が限定され過ぎた、限定することは反対しておりませんが、それが限定され過ぎたのではないかという懸念を持っているわけでございます。
例えば、これまでの事例研究でもございましたように、日本以外の他国に向かうミサイルを日本のイージス艦が迎撃できるかどうかは、この解釈によれば甚だ疑わしいところだと言わざるを得ません。このままの状況では日米のミサイル防衛に関する共同行動には重大な支障が生じるという可能性を危惧いたします。
時間が参りましたので、最後、簡単に述べたいと思います。
第三は、国際平和協力の改正をめぐる問題でございます。
今回の改正案の焦点となっているのは、PKOの参加五原則に関して、受入れ同意が安定的に維持されていることが確認されている場合、駆け付け警護を含む任務遂行型の武器の使用としたということでございます。この方向性自体は日本のPKO参加を国際標準に合わせていく上で必要不可欠であり、歓迎すべき改正であるというふうに考えております。
しかしながら、問題となるのは、その前提となる受入れ同意が安定的に維持されているという状況認識そのものでございます。
現代の中東、北アフリカ、西アフリカにおける秩序の不安定化は、しばしば広域に偏在する越境型の武装組織、これが特に組織化されているわけですけれども、こうした組織による破壊活動によってもたらされております。これは、国家の分裂等によって紛争当事者が固定的に存在していた九〇年代のPKOの状況とは大きく異なるわけでございます。これらの地域に展開される現代のPKOは、越境型の過激組織のテロ活動や急速な治安の悪化等のこうした事態の変化にも対応することが求められます。より現代の実態に即したPKO参画の法的基盤が今後形成されるということを望みたいと思います。
以上で、二分ほど超過して大変失礼いたしましたけれども、私の冒頭の発言を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
○理事(佐藤正久君) ありがとうございました。
次に、伊藤参考人にお願いいたします。伊藤参考人。
○参考人(伊藤真君) 伊藤真でございます。
今回の安保法案が今の日本の安全保障にとって適切か、必要か、そうした議論はとても重要だと思います。しかし、それ以上に、そもそも憲法上許されているのか否か、この議論がいまだ十分になされているとは思いません。どんな安全保障政策であろうが外交政策であろうが憲法の枠の中で実行すること、これが立憲主義の本質的要請であります。憲法があってこその国家であり、権力の行使である。
憲法を語る者に対して、往々に、軍事の現場を知らない、憲法論は観念的でというふうによく批判されます。しかし、不完全な人間が言わば実行する現場、そして現実、これを人間の英知であるところの、言わば観念の所産であるところの憲法によってコントロールする、まさにそれが人類の英知であり立憲主義であります。憲法論がある意味では観念的で抽象的なのは当然のことであります。現場の感情や勢いに任せて人間が過ちを犯してしまう、それをいかに冷静に知性と理性で縛りを掛けるか、事前にコントロールするか、それがまさに憲法論の本質と考えています。
憲法を無視して今回のような立法を進めることは、立憲民主主義国家としては到底あり得ないことです。国民の理解が得られないまま採決を強行して法律を成立させることなどあってはならないと考えます。本案は、国民主権、民主主義、そして憲法九条、憲法前文の平和主義、ひいては立憲主義に反するものでありますから、直ちに廃案にすべきと考えます。
国防や安全保障は国民にとって極めて重要な政策課題であります。ですから、その決定事項に従うためには、それを決定する国会に民主的正統性、これは統治の統でありますが、正統性、これがなければなりません。憲法は、その冒頭で「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、」と規定しております。なぜ正当な選挙が必要なのか。それは、そこでの多数決の結果に賛成できない国民であってもこの権力の行使を受けざるを得ません。それに納得できる手続が保障されなければならないからです。仮に結論に反対であったとしても、主権者、国民の多数から選出された代表者が十分に審議、討論してその問題点を明確にした上で成立した法律なので、仮に結論に対して反対の立場であったとしても取りあえずは従うということであります。
国会における法律制定という国家権力の行使を正当化するためには、どうしても二つのことが必要であります。一つは、正当に選挙された代表者であること、もう一つ、十分な審議によって問題点を明確にしたこと、残念ながら共に満たされていないと考えます。
現在の国会は、衆議院については2011年、2013年、参議院については2012年、2014年と、それぞれ二度も、毎年最高裁判所によって違憲状態と指摘された選挙によって選ばれた議員によって構成されております。言わば国民の少数の代表でしかありません。これは異常であり、違憲状態国会とも言えるようなものです。この瞬間、全ての皆さんを敵に回してしまったような気がするんですが。そこで、安保法制というもの、国民の生活の根幹に関わるような法律を制定しようというわけですから、憲法判断において最高裁を尊重するというのであれば、まずは、最高裁が指摘するように、議員定数、これを憲法の投票価値の平等の要請に合わせて正す、民主主義が機能するようにしてからこうした議論をするのが筋ではないかと考えます。
このように、代表民主制としての正統性を欠く国会である場合、主権者国民の声を直接聞くことが不可欠と考えます。連日の国会前の抗議行動、全国の反対集会、デモなどを始め、各種の世論調査の結果で、国民がこの法制に反対であることは周知の事実となっております。国民の声は決して雑音ではありません。自分たちの生活が根底から覆されるのではないかと危機感を抱いている生活者であり、また主権者であり、憲法制定権者の声であります。国会議員にとっては、自分たちを選出し、権力行使を、権限を授権してくれた主人の声。実際に声を上げている人々の背後に思いを共有する人々がどれほどいるであろうか、民意を尊重する政治家ならば想像力を発揮すべきだと考えます。違憲状態という異常の国会であるからこそ、国民の直接の声に謙虚に耳を傾けなければならない、そうでなければ民主主義国家とは到底言えないでしょう。
もちろん、参議院で審議を継続しているにもかかわらず60日ルールを使われてしまうようなことは、二院制の議会制民主主義の否定であり、あってはならないことと考えます。
民主主義の下では多数決によって物事が決定します。しかし、少数意見、反対意見を十分に聞き、審議を尽くしたと言える審議、討論の過程こそが多数決の結果の正統性を担保するものであります。十分に審議を尽くすことで問題点を明確にし、それを国民に示すことで次の選挙の際の国民の判断材料を提供するわけであります。十分な議論も尽くさずに次の選挙で審判を受ければよいなどという考えは、民主主義を全く理解していないものと考えます。国民は、国会で十分に議論がなされたからこそ、そこでの結論が自分の考えと違っていたとしても、一旦は納得し、従います。この国民の納得感こそが民主主義を支える重要な要素であります。
国民の納得と支持に支えられて自衛隊は活動します。国民の納得と支持が不十分なままで他国民の殺傷行為を国の名で行う、若しくは自衛官個人の判断で行うということになると、それは国民にとっても、また現場の自衛官にとっても、悲劇としか言いようがありません。
では、不安を感じている国民も理解できるような十分な審議が尽くされたと言えるでしょうか。各種世論調査によっても、国民の理解が進んではいないと指摘されております。何事にもメリット、デメリットがあるはずなんですが、政府の側からはこの法案についてのメリットの説明しかないように思われます。デメリットをどのように克服するかの議論が全くなされていないと感じるからこそ、国民は不安になり、反対するのではないでしょうか。
例えば、政府は戦争に巻き込まれることはないと言う、また戦争法という呼び方を批判されます。しかし、例えば集団的自衛権を考えた場合、たとえ要件を解釈で厳格に限定したとしても、その効果は、日本が武力攻撃されていない段階で日本から先に相手国に武力攻撃をすることを認めるものです。敵国兵士の殺傷を伴い、日本が攻撃の標的となるでありましょう。これは、日常用語ではこれを戦争といいます。こうして戦争に巻き込まれるというデメリットを超えるメリットがあるということを何ら説明されていません。
徴兵制は、憲法十八条に反するから全くあり得ないと言います。憲法十八条で「意に反する苦役に服させられない。」とありますが、しかし、これは公共の福祉で制限できると解釈されているものです。ということは、必要性、合理性が生じたならば徴兵制も可能ということを意味します。サイバー対策のためのIT技術者、輸送、医療、法務など、必要な人材の確保に窮したときでも、限定的な徴兵制すらあり得ないと言い切れるのでしょうか。集団的自衛権の解釈でやってみせたように、これまでの政府解釈を、状況が変化したということで、ある日突然変更してしまうという可能性を否定できません。抑止力を高めることが国民の命と幸せな暮らしを守ると言います。しかし、軍事的抑止力を高めることでより緊張が高まり、危険になる可能性もあるはずなのですが、その説明はありません。
ほかにも、立法事実が本当にあるのか、自衛隊員と国民のリスクはどうなるのか、後方支援がなぜ他国の武力行使と一体化しないのか、海外で自己保存以外の武力行使が許される根拠はどこにある、他国軍の武器防御が許される法的な根拠は、自衛官が海外で民間人を誤射してしまった際の処理など、ほかにも不明な点が山積みであります。多くの国民の疑問を残したまま強引に採決を強行してはなりません。
憲法は、国民が自らの意思で国家に一定の権限を与えて、国家権力を制御するための道具であります。憲法は、その前文で、日本国民はこの憲法を確定したと言っています。何のためか。我が国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保するため、そして、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、とあります。つまり、二度と政府に戦争をさせない、そのためにこの憲法を作ったわけであります。そして、そのことを具体的に、明確にするために憲法九条を置きました。
憲法は、初めから政府に戦争する権限などは与えていません。そこでの戦争は、武力の行使、武力の威嚇を含む概念であります。すなわち、憲法は、政府の裁量で武力行使、つまり戦争を始めることを許してはいないのです。そこで、憲法の外にある国家固有の自衛権という概念によって、自国が武力攻撃を受けたときに限りの個別的自衛権だけを認めることにしてきました。
この個別的自衛権は、日本への武力攻撃が行われたときに行使されますから、これは客観的に判断できる基準であります。しかし、集団的自衛権は、他国への武力攻撃を契機とし、政府の判断で行使されるものであり、限定的な要件を立てたとしても、その判断を政府の総合的な判断に委ねてしまう以上、政府に戦争開始の判断を与えることにほかなりません。これは、日本が武力攻撃を受けていないにもかかわらず政府の行為によって日本から戦争を仕掛けていることになります。日本が攻撃されていないのですから、攻撃する場所は日本の領土外、つまり外国であります。この結果、外国で敵国兵士が殺傷され、施設が破壊される。これは自衛という名目の海外での武力行使そのものであり、交戦権の行使にほかなりません。憲法九条一項に違反し、交戦権を否定している二項に違反します。
たとえ自衛の名目であっても、その武力行使によって深刻な被害を受け、また加害者となるのは国民自身なのであります。ですから、国民自らの意思で、こうした海外での他国民の殺傷や施設の破壊をする権限を政府に与えるかどうか、これを自ら決定しなければなりません。それが憲法制定権が国民にあるということであり、主権が国民に存するということの意味であります。
国民からすれば、自らを危険にさらす覚悟があるのか、自ら殺人の加害者の側になる覚悟があるのか、これを自ら決定する究極の自己決定権の行使であります。それが、憲法制定権を持つ国民が、憲法改正の手続を取り集団的自衛権を行使できる国になる、選択することにほかなりません。本法案は、その国民の選択の機会をまさに国民から奪うものであり、国民主権に反し、許されないと考えます。これだけ重大なことを、憲法改正手続も取らずに、憲法で縛られて戦争する権限など与えられていない政府の側で一方的に憲法の解釈を変更することで可能にしてしまうことなどできようもなく、明確に立憲主義に反すると言わざるを得ません。
政府が憲法上許されるとする根拠が昭和四十七年の政府意見書と砂川判決であります。共に根拠となるという論証がなされていません。四十七年意見書の当時から限定された集団的自衛権は認められていたというようなことは、元内閣法制局長官であった宮崎礼壹参考人が言うように白を黒と言いくるめるようなもので、あり得ません。当時の吉國長官答弁及び防衛庁政府見解によって完全に否定されているものであります。
さらに、時代が変わったのだから自衛の措置として限定的な集団的自衛権までは認められるようになったのだと解釈することは、時代の変化による必要性が生じたから、これまで認めてこなかった武力行使を必要性だけで認めてしまうということを意味します。法的安定性が根底から覆されるものであります。
しかも、昨年の7月1日閣議決定では、47年見解の中核部分であるところの、しかしながら、だからといって、平和主義を基本原則とする憲法が自衛の措置を無制限に認めているとは解されないのであってという重要な記述をあえて脱落させています。
必要があれば自衛の措置として何でも容認してしまうというこの解釈を許してしまうことは、武力の行使と交戦権を否定した憲法九条をなきものとし、政府に戦争の惨禍を起こさせないようにするために憲法で軍事力を統制した立憲主義に真っ向から反しています。この四十七年意見書は、合憲性の根拠にはなり得ないものであります。
砂川事件最高裁判決は、集団的自衛権行使容認の憲法上の根拠にはなり得ません。これまで指摘されてきたように、砂川判決は、集団的自衛権の可否を扱った判例ではありません。憲法判例が一定の規範的な意味を持つためには、公開の法廷で当事者の弁論によって争われた争点にについて判断することが必要であります。
持ち込まれた争点に対して法律専門家同士が議論を尽くし、裁判所が理性と知性によって法原理を探った結果だからこそ、その判決の内容を国民は信頼し、一定の規範としての意味を持つに至るのです。全く当事者が争点にもせず、専門家によって議論もされていない点について判例としての意味を持たせてしまうと、部外者による恣意的な解釈を認めることになり、裁判所の法原理機関としての正当性を失わせ、裁判所の権威をも失墜させてしまうでしょう。
このように、当時争点になっていなかったのであるから集団的自衛権を認める規範としての意味がないという指摘に対して、それでも合憲の根拠というのであるならば、一、争点になっていなくても規範としての意味がある、又は、二、当時争点となっていた、このいずれかを論証しなければなりません。しかし、どちらの論証も政府側からなされていません。よって、法的にこの砂川事件最高裁判決を集団的自衛権の根拠に使うことは許されません。
最後に申し添えたいことがあります。
そもそも、国会議員には憲法尊重擁護義務がございます。どんな安全保障政策であっても憲法の枠の中で実現すること、これが国会議員の使命であり、責任であります。昨年七月一日の閣議決定が違憲であることがそもそもの問題の原因なのですから、そこにしっかりと立ち戻って憲法上の議論をしなければなりません。良識の府である参議院の存在意義は、衆議院に対する抑止であり、数の力の暴走に歯止めを掛けることにあります。参議院の存在意義を今こそ示すことが必要と考えます。
国民は、ここでの議論、そしてこの法案に賛成する議員のことをしっかりと記憶します。十八歳で選挙権を与えられた若者も含めて、選挙権という国民の権利を最大限に行使するでありましょう。昨年七月一日閣議決定以来、国民は、立憲主義、平和主義、民主主義、国民主権の意味をより深く理解し、主体的に行動するようになりました。これは、この国の立憲主義、民主主義、そして国民主権の実現にとって大きな財産になるものと考えます。
国民は、これからも理不尽にあらがい続けるでしょう。戦争は嫌だという心からの本能の叫びから、また、今を生きる者として次の世代への責任があるから、あらがい続けることでしょう。それが一人一人の国民の主権者としての責任だと自覚しているからであります。そのことをここにいらっしゃる全ての議員の方が深く心に刻むことを期待して、私の意見陳述を終わります。

 




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